2016年03月21日

終末期を考える

父が他界しました。

木曜日の午前4時、病院から電話が来ました。
「容体が急変しました」
怖かった。いつか来ると思っていたけれど、とうとう来たか。
母は冷静で、しっかりしていた。
このとき実家に母と私がいて、母が電話に出て私を呼んで、
それでも慌てないように心掛けているのか、忘れ物はないか、しっかり着替えたか、
戸締り、火の始末は大丈夫かと指さし確認して家を出た。
車中父との思い出話をしていた。
感謝の言葉を言っておいてよかった。
車いすに乗せることができてよかった。
お金関係を片付けておいてよかった。
お墓も買って、葬儀は近所の父の友人にお願いできるから大丈夫。
母はここ1週間、同じことを何度も確認する。
疲れもピークで、痴呆になったのかと思うふしが見られたが今だけのことだろうとフォローに回った。
病院につくと、実はもう呼吸は止まっていた。でもまだ体が暖かく、逝ったばかりなのかわからなかった。
それでも主治医は
「ご家族だけでお別れをしてください」と言って病室を出た。
母と私で手を握り、ほほに触れ、
「ぱぱ、ありがとうね。ありがとう。家もお金も大丈夫だよ。みんながちゃんとやってくれたから安心してね」
このとき母は泣いたのだが、後にも先にも泣いたのはこの時だけだった。

30分くらい時間をいただいて、主治医を呼びに行った。
主治医は淡々としていた。
「奥様の時計で見ましょうかね。今、午前4時55分ですね。では。午前4時55分、永眠されました。」
私と母はうなづいて、そこには激しい感情はなかった。これが父の死だ。
母は緩和病棟でこんな形の最後にしてあげられたことを良かったと言う。
この後私たちはショックで寝込むのかと思ったが、実はそのままずっと元気でいることができた。
看病に1月ほど費やし、つきっきりでもなく身辺整理もできて、少しずつ忍び寄る父の死に対して、心の準備もできていたのかもしれない。
元気と言っても母は物忘れが激しくなったが、軽い冗談は言えるし、自信の身の回りのことは普通にできる状態でした。ほっとしたのですが、このあと葬儀関係の打ち合わせの時、ちょっとやばいなと思った。

父の体を病室で拭いてもらい、葬儀社のお迎えを呼んで裏口から出た。
母は言われたことはわかっているのだが、先ほど了解したことも何度も聞き返すようになった。
この後の段取りのこともわかりやすく説明してもらったのに
「で?私はどうすればいいの?」といった感じで、
聞いても頭に入っていないようだ。母に付き添って私が全部聞き、母に質問し、決定し、決定したことも母から質問されたら答えられるようにして置かないと話が先に進まなくなった。
母は、父の危篤の時から周囲は娘にばかり選択させていて、妻を不安に思っているんじゃないかと言っていたが、いよいよ葬儀の打ち合わせになったとき、葬儀社の担当者が私に
「お母さん大丈夫ですか?」と言っていた。
「今は大丈夫じゃないかもしれませんね(笑)」と言うしかないが、
今だけなのだろうか。不安になった。
友引が挟まるので、葬儀は3日後になった。

身近な家族ほど、大事な人の死を受け止めるのに時間がかかる。
母は葬儀までの3日間、父がまだ生きているようなていで話したり考えたりしていた。
コーヒーを多く入れてしまう。夕食のメニューを父中心に考えてしまう。
冷蔵庫の中身が父の好きなものばかりで、
「これはパパが帰ってきたら食べるから」と言って自分でびっくりしている。
父の使っていたもので明らかに不要なものでも、まだ触れないと言っていた。
ゴルフのフルセットが、なぜか6セットくらいあるのだが、手を付けるなと言っていた。
急に全部片づけてしまうのが良くない気がするとか
近所の目を気にしたりとか。
なれるしかないのだ。その人がいないということに。

↓あなたはご家族に何を残し、最後をどんなふうに迎えますか?↓

↓とりあえず、終活とはなんぞや↓

↓逆もまた真なり↓

posted by さやred at 20:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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