2016年01月27日

緩和ケアの日々:1

ベッドごと移動する間、父は目を開いていました。二日前は意識が低下し、三日と持たないかもしれないと言われていたのに、そのあと回復していました。肩がいたいのだとしきりに訴えていましたが、意識が低下した時の記憶はありません。
意識が少し低下した時は人格もちょっと変わります。
ヘンクツというか、江戸っ子キャラになります。そこも記憶が無いようです。
移動中は比較的まともでしたが、その日の夜から江戸っ子キャラになり、ベッドから降りて(落ちて)大活躍したそうです。

翌朝顔を出しましたら、半目でベッド上で斜めに転がっていて、独り言を言っていました。
酸素マスクをいやがり、布団を蹴散らし、点滴を引っ張ったまま不満げでした。
私の顔を見てろれつの回らない感じで
「起こせ!」と言います。
二、三日危篤だったのだから寝ていてくれと話すと
「おかしい!そんなはずはない!こんなのはいらない!」点滴を取ろうとする。降りたいと言うので、細心の注意を払ってベッド柵をひとつ外した。父は足を下ろして、猿人のような姿勢でヨロヨロと立ち上がった。手を出すなと言う。何故か窓に向かったので、トイレかと聞いたら
「当たり前だ!」窓の前のソファに座らせて、ためしに聞いてみた。
「もしかして、家に帰って来たと思ってる?」
「うん」
そこへ看護婦がやって来た。
「あら!元気になったの?」
顔は大変戸惑っていました。
私は謝って、事の顛末を話すと、痛み止めが聞いたのかな?と。
看護婦の天使のような導きでベッドに戻った父は、照明を見つめていた。
看護婦が明るく
「何か見えますか〜?」と聞くと
「うん」何が見えるんだ?

緩和ケアの点滴は、一般病棟と目的が違うので、体の痛みが全く無いようです。元気になったと誤解してしまったのでしょうか。
「緩和ケアの日々:2」へ続く
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posted by さやred at 18:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

緩和ケア希望

また救急車に乗りました。
体温が下がったとき、父は
「もうだめかもしれない」
と言ったそうです。
それでも寒さに耐えながら我慢していたら、飼い犬が騒いで母を起こしたのです。
母は、このままでは殺してしまうと思い、病院に入院させたかったと言いました。

ペースメーカーはA医大、
咽頭ガンはT医大、
その他はS病院を受診していました。
近所なので、救急車はS病院に向かうように話していました。
でも、連携が難しいようです。あっちの先生は何ておっしゃっていましたか?と、お互いに遠慮して、なかなか先に進みません。
緩和ケアの病棟はS病院にもありまして、
T医大は「近所でもありますし、S病院の緩和ケアに入れるようにお手紙かいておきましたから」と言いますが
S病院では「当院には耳鼻咽喉科はありませんからT医大の方が」と言う。
我が家の総意として、S病院で緩和ケアを受けたいのだと伝えるのに三日ほどかかりました。
あとでわかったのですが、リハビリ目的の無理はさせない、ガンを攻撃しない、あくまで痛みや苦しみを取りながら楽に逝ってもらうのが緩和ケアで、そこを本人も家族もよくわかっていなければならないんですね。
担当医と何度か面談しました。
最初は病室が空いていないと言われていましたが、面談の中で私たちの覚悟を聞いたら、翌日移動が決まりました。
別世界が広がっていました。
(「緩和ケアの日々:1」に続く)

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posted by さやred at 21:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

母からのSOS

1月14日、母から電話が来た。
父はあれから退院し、5日くらい家にいたようだ。
震えるほどの寒気、そのあとの高熱、その間の尿意で動き出す。
毎日繰り返すので、母には負担だったらしい。
この頃には熱の原因は腫瘍熱だと言われていて、ガンは身体中に転移していることがわかっていました。咽頭を始めとして、仙骨、あいだにある肝臓、肺、ろっ骨など。
それぞれ二、三個あり、育ちつつある。
発熱の度に腫瘍が育っていそうで(医者はそうとは限らないと言いますが)、多発して、拡大が加速していると言う。
医師から見ても、予想より早い進行のようだ。
時間も不規則で、母も眠れない日々を過ごしていて、不安で仕方がないと。

実家に帰ると、
「おむつを買ってきてくれ」
と言いました。プライドのある父がそんなことを言うのは辛かったと思います。

翌日は、ガンでお世話になっているT医大に予約していました。体調は万全ではありませんでしたが、連れていきました。腫瘍でのどがふさがってきたら、チューブで胃に液体の食品を流すしかない、息ができなくなればのどもとを切開しなければならないと。母も父も、それは嫌だと言っていました。
母は、身体中に転移していると聞いたときから、もうガンは治せないと思っていたようです。だったら苦しむ事はかわいそうだと、ホスピスのような緩和ケアを希望していました。
二日後の午前2時、父はまた救急車に乗りました。
(「緩和ケア希望」に続く)



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posted by さやred at 22:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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